糖尿病治療のデジタル化と企業動向 ―デジタル×ビジネスが拓くWell-beingな未来

2024.03.18

糖尿病は、インスリンの作用不足によって高血糖が慢性的に続く病気で、自覚症状がないまま放置すると、微小血管の障害による網膜症、腎症、神経障害などの合併症が進行し、末期には失明したり透析治療が必要となることがあります。そのため、糖尿病を発症した後は、病状の進行を抑制し、合併症を予防するために、継続的な治療による良好な血糖値のコントロールが重要となります。この記事では、デジタル化や技術開発による糖尿病の治療や疾患管理における負担の軽減や、重症化予防からパフォーマンス向上へと広がりを見せる企業の取り組みについて解説します。

監修者
牧田 善二 先生

AGE牧田クリニック院長、糖尿病専門医

1979年、北海道大学医学部卒業。1989年より米国ロックフェラー大学の研究員として、糖尿病合併症の原因として注目されているAGE(Advanced Glycation End Products;終末糖化産物)の研究に従事。1996年より北海道大学医学部講師、2000年より久留米大学医学部教授を務めた後、2003年に「AGE 内科クリニック(現在はAGE 牧田クリニック)」を開業。20万人以上の患者を診察するのみならず、糖尿病を中心に多数の著書を出版。

世界で増加する糖尿病と治療のデジタル化

世界の糖尿病の現状と今後の予測

出典:IDF Diabetes Atlas, Diabetes around the world in 2021

世界の糖尿病人口は、2021年の時点では5億3,700万人で、今後も増加することが予測されています。中でもアジア・中東・アフリカ地域は、経済成長に伴って中間層が増加し、食生活の欧米化や運動不足によって罹患率が急増するとのことです。
世界の糖尿病に関連する医療費も、2030年には1兆300億ドルに達することが予測されています*1(世界の糖尿病患者数動向に関する詳細はこちら:生活習慣病とは:世界で急増する糖尿病患者と、期待される治療の未来|陽だまり|未来に、ウェルネスの発想を。 - 三井物産 (mitsui.com)をご参照ください)

糖尿病治療のデジタル化

デジタル技術、通信技術、センサー技術、AIなどの急速な進歩によって、ヘルスケアを取り巻く環境は大きく変化しています。その中で、糖尿病治療のデジタル化も進んでいます。
スマホ上のアプリで医療専門家やケアチームにつながることで、これまで患者任せだった糖尿病での食事療法や運動療法、日常的な血糖値の測定といった治療やケアの支援が可能になりました。

デジタルヘルス市場を牽引する北米では、糖尿病向けのデジタルセラピューティクス(DTx)※が提供されており*2*3、医師による処方が必要なものと不要なものがあります。

※ デジタルセラピューティクス(Digital Therapeutics:DTx):病気や障害、けがなどの治療や症状緩和のために、エビデンスに基づく治療的介入を行うもの*5とされ、基本的に規制当局によって承認されたアプリを用いて行う治療を指す。日本では治療用アプリとも呼ばれている。

出典:Daniel Z. Sands., Beyond the EHR: How Digital Health Tools Foster Participatory Health and Self-Care for Patients with Diabetes. American Journal of Medicine Open Volume 10, December 2023, 100043 および各種報道に基づき作成

近年、日本でも糖尿病を対象としたDTxの開発が進められており、アステラス製薬(Welldocと提携)、ベンチャー企業であるSave Medical(大日本住友製薬との共同開発)、三井物産の関係会社であるRaxiなどが取り組んでいます。海外勢では、Livongo Healthは利用者の継続率が高いことで成功事例として注目される中、コロナ禍でリモートケアのニーズの高まりをうけて急成長し、2020年にTeladocによる185億ドル(当時のレートで約1兆9,500億円)での合併が発表され、大きな話題となりました*4

テクノロジーで変わる糖尿病領域の患者体験

プラットフォーム化するDTxーLivongo Healthの事例

2014年創業のLivongo Healthは、糖尿病の疾患管理サービスからスタートし、糖尿病患者の生活の質(Quality of Life;QOL)を追求する中で、高血圧・肥満・高コレステロールといった症状まで対応できるようサービスを拡大してきました*6。2019年には、血糖値を悪化させる要因の一つであるストレスに対するケア機能を強化するため、行動認知療法アプリを展開していたMyStrengthを買収しています。

このLivongo Healthのプラットフォームでは、ユーザーエクスペリエンス(UX;ユーザー体験)とリアルタイム性が最も重視されています。
UX向上の観点から、このプラットフォームでは、体重計や血圧計、血糖測定機器などのデバイスから得られる日々のデータは全て自動的にスマホ上のアプリに集約されるようになっています。これにより、ユーザーは手動で記録する煩わしさから解放され、貴重な時間をより有意義なことに充てることができます。
リアルタイム性は、デジタル技術を活用して収集した生体シグナルから、タイムリーにユーザーの体で起こっている変化を捉え、例えば、糖尿病患者で危険な低血糖状態を感知した際には、1, 2分以内に専門家チームが電話で必要なコーチングとサポートを提供したり、安全確認をすることが可能となっています。また、リアルタイム性は、健康状態を戦略的かつ長期的に改善するためにも重要な要素で、ユーザーの行動変容を促すタイムリーなアドバイスを可能にしています。例えば、日々のルーティーンである血糖値のチェック時に自身のパターンや傾向を振り返って要因を特定し、パーソナライズされたアドバイスが行われています。そして、このシステムに活用されているAIは、ユーザーがアドバイスを受け取らなかったことも学習し、時間の経過とともにアドバイスが受け取られるよう個別に仕様が改善されるようになっています。
Livongo Healthは、遠隔医療事業を世界175カ国に展開するTeladocとの統合によって、ユーザーとのタッチポイントを一気に拡大することができ、Livongo Healthユーザーは、医療ケアプロバイダーと連携が可能になりました。一方、Teladocは、Livongo Healthのデータドリブンな慢性疾患治療に対応するプラットフォームを自社の遠隔医療システムに組み込むことで、慢性疾患の包括的かつパーソナライズされたソリューションの提供が可能になり、両社で機能を補完しています。

患者の心的・身体的負担を低減する血糖測定技術の開発

糖尿病の病状が進行しインスリン治療を行う場合、血糖自己測定が不可欠となります。血糖自己測定は、測定のたびに患者自身が指先に針を刺して採血し、試験紙に血液を吸収させる方法となります。この測定方法では、穿刺の痛みや手間がかかるといった煩雑さは患者さんの負担となっています。こうした負担を低減し、より良い治療が行われることを目指して開発されているのが、自己採血が不要な非侵襲性の血糖値モニタリングです。
日本のLight Touch Technology、海外ではドイツのDiaMonTech AGと、イギリスのNemaura Medicalが非侵襲型の血糖測定センサーの開発に取り組んでいます。

日本のLight Touch Technologyが開発したのは、5秒指先に光を当てるだけで血糖測定が可能な血糖値センサーです*7。本製品では高輝度中赤外レーザー※を用いることで痛みを伴わずに、リアルタイムな血糖測定が可能となっています。同社は、このセンサーを2025年に商品化することを目指しています。

※高輝度中赤外レーザー:固体レーザーの最先端技術と光パラメトリック発振技術を融合して開発された高輝度の中赤外線レーザー。

DiaMonTech AGは、中赤外レーザーを用いた針刺し不要の血糖測定機器「D-POCKET」を開発し、センサーに数秒間指を置くと血糖値が測定されるようになっています。測定機器は、靴箱ほどの大きさのプロトタイプから、この4, 5年で少し厚みのあるスマホサイズへと小型化に成功し、この新機種で治験を進めています。プロトタイプの測定器「DMT Base」の精度は、血糖自己測定や低侵襲型血糖測定器と代替できるほど、十分であることが示されており*8、CEマーク(欧州連合加盟国の基準を満たすものに付けられる基準適合マーク)を取得しています*9。さらにDiaMonTech AGは、Samsungと共同でスマートウォッチなどに搭載できる小型センサー「Dセンサー」の開発も進めています。
スマートウォッチといえば、Appleも同様に、非侵襲型の持続血糖測定機能をアップルウォッチへ搭載すべく、過去13年ほど取り組んでいます。デバイスの超小型化や多検体測定を可能にする半導体チップであるシリコンフォトニクスの利用に転換するとともに光吸収分光法を測定プロセスに追加し、実現に向けて大きく前進したことが2023年に報道されています*10。Appleは、スマートウォッチ利用者の糖尿病予備軍に対して注意を喚起し、生活習慣の改善による発症予防を目指しており、商品化は数年先になると思われますが、実現すれば数十億ドル規模の持続血糖値測定の市場を根底から覆す可能性があるともいわれています。

Nemaura Medicalは、上腕部の皮膚に貼るタイプのセンサー「SugarBEAT」を開発し、CEマークを2019年に取得し、販売しています*11。「SugarBEAT」は、使い捨てセンサーで、接着面の表皮に微弱な電流を流すことで皮下間質液中のグルコース分子を検知、5分ごとに血糖値を測定し、データは自動的にスマホ上のアプリに転送されるようになっています。

これらの非侵襲的な血糖測定技術は、自己採血が不要で操作も簡単なため負担は大きく軽減しますが、インスリン投与は自身で行う必要があります。この点において、血糖測定とインスリン投与が自動化されているMedtronicのインスリンポンプ*12、血糖測定のためのセンサーフィラメントやインスリン投与のためのカニューレ(柔らかくて細いチューブ)の皮内留置が必要な低侵襲性機器となりますが、利便性は高くなっています。ただ、患者さん自身で機器取り扱いの習熟やトラブル対応、センサーやカニューレの装着部位の清潔を保つなど、メンテナンスが必要となります。

既存事業を強化しつつ、事業領域を拡大する企業

Medtronicは、上述の通り、糖尿病領域では比較的症状が進行したインスリン治療に強みを持っていますが、近年、糖尿病における食の知見を獲得し、より軽症な疾患ステージに事業を拡大しています。この動きは、Abbotにもみられます。

より軽症な疾患ステージに対応する機能を強化

医療機器メーカーであるMedtronicは、心臓ペースメーカーなどの埋め込み型デバイスを強みとし、「循環器」「外科・低侵襲治療・診断」「神経科学」「糖尿病」の4つの領域で事業をグローバル展開しています。

Medtronicの強みは、生命維持に不可欠な心臓ペースメーカーや、パーキンソン病の振戦抑制のための脳深部刺激装置など、治療や症状緩和に不可欠な体内に埋め込むタイプの機器や、外科手術周りの医療機器開発となります。これを疾患ステージでとらえると、治療が必要な重度の症状に対応する領域となり、糖尿病においてもインスリン治療は必要な比較的重い症状の糖尿病の疾患ステージに対応していると言えます。
Medtronicは、2020年に手術用AIを開発するDigital Surgery*13、脊髄刺激治療法を開発するStimgenicsを買収*14するなど、既存領域の強化を進めています。一方で、糖尿病領域では2018年にAIを活用した栄養関連分析会社のNutrino Health*15を、2019年には食事内容をリアルタイムで追跡可能なAIソフトウェアを開発するKlueを買収*16し、糖尿病の重症化予防や糖尿病予防につながる領域へ事業を拡大する動きがみられます。
糖尿病に占める食事の影響は大きく、患者さんの重症化予防とより良い生活を実現するために食行動に関する知見を強化する動きと思われ、これらの企業買収によって糖尿病予備軍の発症予防につながるインサイトが得られる可能性があります。

糖尿病治療の技術をアスリートのパフォーマンス向上に活用

Abbottは、センサーフィラメントを皮内に留置する低侵襲性タイプの持続的血糖測定機器「FreeStyleリブレ」を開発、提供しています。この技術を発展的に活用し、一般消費者向けのウェアラブル開発を取り組んでいます*17
Abbottは、2022年のCES(Consumer Electronics Show;世界最大の家電機器展示会)で、一般消費者向けのバイオウェアラブル「Lingo」を開発していることを発表しました。この「Lingo」は、血糖値以外にケトン体、乳酸が測定可能で、日常の体調管理やダイエット、効率的な運動トレーニングをサポートすることを目指しています。
欧州では、2020年にアスリート向けに、血糖値を測定するウェアラブル「Libre Sense Glucose Sport Biowearable」を発売し、フルマラソンの世界記録保持者であるエリウド・キプチョゲ氏がパフォーマンス向上のために利用しているとのことです。

デジタル技術が全産業にもたらした大きなインパクトの一つに「モノ」から「コト(UX)」への転換があげられます。上述の企業動向は、まさに医療業界における「コト(UX)」追求への転換と言え、これはやはり患者の日常の健康状態を把握できるデジタル技術の登場によるものです。
海外の医療機器メーカーは、医療機関などの自社サービス・製品を納品するサービスプロバイダーだけでなく、エンドユーザーである患者・生活者に向き合い始めています。エンドユーザーにとって必要とされる存在となるためには、ユーザーが求める「より良い状態」から、さらに「Well-being(最高の状態)」の実現に向けて、従来の延長線上にある既存事業の成長だけでなく、UX向上を起点とした戦略も検討すべき分岐点に来ているのかもしれません。

デジタル×ビジネスが拓くウェルネスな未来

これまで紹介してきたように、デジタル技術の進歩によって糖尿病の治療は自動化され、技術開発によってケアの負担が軽減される方向に向かっています。また、これらの技術は、糖尿病の発症予防、ダイエット、パフォーマンス向上と、予防だけでなくwell-beingに導くツールとしても発展しつつあります。そのなかで、患者や生活者の日常のデータにアクセスできるスマホやウェアラブルは、企業がユーザーの理解を深め、UXを追求する上で重要な役割を果たしており、今後、予防をめざすシステム構築においては、これらのデバイスが中心的かつ不可欠な要素となることが予測されます。AIは個別化した健康増進の支援、サポートの実現に大きな役割を果たし、存在感を増していくことになると思われます。

近年、医療業界では、利便性と効率性を重視し、あらゆるニーズを一つのプラットフォームに集約する動きが見られます。この傾向が加速すれば、医療インフラを中心したプラットフォーマーが形成される可能性もあります。1つの特徴的な技術やサービスに特化して事業開発を進めるベンチャー企業は、医療インフラを提供する企業、あるいはプラットフォーマーと提携することで、相互の機能を補完し、医療インフラを通じて事業を拡大する機会を得ることになるでしょう。

*1 IDF Atlas 10th edition p57
*2 Grand View Research, Digital Health Market Size, Share & Growth Report, 2030
(参照 2024-02-26)
*3 Grand View Research, Digital Therapeutics Market Size, Share & Trends Analysis Report By Application (Diabetes, Obesity, Smoking Cessation, Respiratory Diseases), By End-use (Patients, Providers, Payers, Employers), By Region, And Segment Forecasts, 2024 – 2030 (参照 2024-02-26)
*4 Teladoc Health:News & Event (参照 2024-02-26)
*5 Digital Therapeutics Alliance:What is a DTx? (参照 2024-02-26)
*6 第5回 LINK-Jオンライン・ネットワーキング・トーク(2020年10月7日開催)
世界最強の「デジタルヘルス大手企業」が誕生!?アメリカデジタルヘルストレンド・現状&未来
*7 Light Touch Technology webサイト (参照 2024-02-26)
*8 J Diabetes Sci Technol. 2021 Jan; 15(1): 6–10.
*9 DiaMonTech:News (参照 2024-02-26)
*10 Bloomberg/Technology, Apple Makes Major Progress on No-Prick Blood Glucose Tracking for Its Watch (参照 2024-02-26)
*11 Nemaura Medical:Technology (参照 2024-02-26)
*12 Medtronic webサイト (参照 2024-02-26)