EYS社×ロート製薬×三井物産 未病分野における事業共創のヒント

2024.07.16

病気を未然に防ぐ未病・予防分野は、高齢化が進む先進国において、健康寿命の延伸と医療費を最適化する観点から注目されています。
三井物産は未病・予防分野における漢方薬の可能性に着目し、シンガポールの漢方薬製造販売企業であるEu Yan Sang社(以下、EYS社)の株式をロート製薬㈱とともに取得しました。
EYS社に出向中の岡島氏より、事業共創の背景や付加価値向上のための施策、未病領域におけるウェルネスソリューション事業の展望について伺いました。

岡島 文子 氏

三井物産株式会社
Eu Yan Sang International Ltd. 出向

2011年に三井物産に入社し、食料本部で食用エタノール、パーム油等のトレーディング業務を担当。マレーシア駐在を経て、2016年よりニュートリション・アグリカルチャー本部でフードサイエンス事業、未病対策事業に従事、関係会社管理や新規投資・事業開発を担当。2023年1月より出資先EYSに出向、Liaison &Special Project Leadとして数多くの協業プロジェクトを現地でリード。

Eu Yan Sangについて
1879年創業、145年の歴史を持つ東南アジア最大の漢方薬製造販売企業。主力製品である漢方薬・製薬をはじめ、食品やサプリメントも手掛けるなど「医」領域から「食」領域まで幅広い製品ラインナップを有し、主要展開国であるシンガポール、マレーシア、香港の三カ国では高いマーケットシェアを占める。

「業際ビジネス」として踏み出した未病領域

本件を担っているニュートリション・アグリカルチャー本部は、「食とサイエンスの結節点」として2016年に立ち上がった本部です。ロート製薬とは、定期的にウェルネス分野での事業創造について意見交換をしていた三井物産ケミカル(当社子会社)を通じて接点がありました。ファンドによるEYS社売却の話は以前も上がっていて、ロート製薬とEYSの件を含むウェルネス分野での協業の話もあったのですが、コロナ禍により店舗売上を軸とするEYS社はパンデミックの煽りを受けたこともあり、当時は見送りとなりました。

しかし、幸運にもその後、事業提携のチャンスが巡ってきました。2022年6月、コロナ規制が緩和されたタイミングでEYS社の株主を訪ねたところ、偶然も重なり、当社が16%の出資比率でEYSへ出資するファンドにパートナーとして出資参画することができました。この出資からわずか半年ほどでファンドから売却の話が浮上しました。これを機にロート製薬と三井物産が共同保有する特別目的会社(SPC)を設立、EYS株式の約86%を取得する契約を締結しました。

まず、私たちのチームが未病領域に着目した経緯からお話ししますね。

チームの生業はフードサイエンス事業です。食品には三つの基本的な機能――栄養機能(一次機能)、感覚・嗜好機能(二次機能)、生体調節機能(三次機能)がありますが、当時、より付加価値の高い二次・三次機能に関わる機能性食品原料をフードサイエンスと定義づけ、保有していた関係会社を軸に同事業を成長させていく事業戦略を掲げていました。未開拓の分野を中心に事業機会を模索していく中で、三次機能を健康と捉え、この分野を強化する方向性が固まっていきました。

ヘルスケア関連事業は別本部の事業領域としてすでにありましたが、私たちは食品を通して、病気より手前のセルフケアができないか?と考え、2017年より本格的に始動したのが未病対策事業です。「サイエンスに立脚する未病対策ソリューション事業」を掲げ、2018年にはアメリカの高機能サプリメント会社に出資しました。2022年よりアジア展開を進めましたが、ほぼ無名のアメリカのサプリメントをアジアで流通させることは簡単ではありませんでした。この経験から、地場に根付いたソリューションとブランド力、そして顧客基盤が不可欠であることを学びました。

これを踏まえ、サプリメントメーカーやジムなど、アジアでブランド力のある未病関連分野の企業を探索する中で行き着いたのが「漢方薬」でした。「漢方薬」は、正式にはトラディショナル・チャイニーズ・メディスン(TCM)といいます。TCMはアジア圏の人々に広く浸透しており、さらなるマーケットの伸張性も期待できるほか、当部の知見・ノウハウを活かすチャンスが豊富にあると考えました。

漢方薬(TCM)を「科学的なエビデンスがない」と否定的に捉える方も多いかもしれません。確かに、複数の生薬で構成される他成分系の漢方薬(TCM)がどのようなメカニズムで効果を及ぼすのかを解明することは非常に難しいことです。しかし、近年、漢方薬においても、いかに臨床試験で効果が示せるかという点が重視されるようになってきました。TCMを使用した臨床試験は2010年以降急激に増えているほか、国際的に権威ある科学雑誌でもそれらの臨床試験が紹介されています。

また、統合医療(Integrated Healthcare)の観点でも、TCMや漢方薬のもつ可能性が注目されていくと考えています。統合医療とは、西洋医学と中国の伝統医学など、さまざまな医療を融合させて患者中心の治療を行うこと、つまりそれぞれの医学の良いところ取りをする考え方です。2015年には中国の女性薬学者のTu Youyou氏が漢方生薬由来のマラリア治療薬を発明し、ノーベル生理学・医学賞を受賞しました。また、アストラゼネカ社が統合医療に基づくヘルスケア開発プラットフォームを中国で設立するなど、こうした潮流は今後さらに世界に拡がっていくと見込んでいます。

漢方薬は究極の「個別化提案」

日本では医師が西洋薬と同様に漢方薬を処方することも可能ですが、中華圏では中医(中国の伝統医学の医師)と西洋医はそもそも資格が分かれています。中医は主にトラディショナル・チャイニーズ・メディスン(TCM)を専門的に取り扱うTCMクリニックに在籍し、中医学に基づいた脈診や舌診などの診察をもとに個人の症状に合わせて漢方薬を調合するほか、鍼治療やカッピング療法などを行います。TCMクリニックは、かかりつけ医として利用する人、日常的に通う人も多く、生活に浸透しています。これは、まさに私たちが未病対策事業で重要視している「個別化提案」が実現されていると考えています。

多くの家庭で、ツバメの巣やチキンエッセンス、生薬スープといった漢方食材も日常的に取り入れられています。例えば、受験を控え、徹夜が続く子どものために栄養価の高いチキンエッセンスを飲ませる、炊飯器に冬虫夏草をお米と一緒にいれて炊く、といった具合で、漢方食材は日常生活の一部になっています。こうした製品はEYS社の店舗ではもちろん、薬局チェーンやスーパー、オンラインで購入することができます。

先ほど述べたように、地場に根付いたソリューションやブランド力、顧客基盤が前提としてあります。その上で、EYS社の持つ製品の強みに大きな価値を感じました。希少価値の高い生薬から、サイエンスに基づいた培養技術によるリーブナブルな価格帯のサプリメントまで、幅広い製品を扱っており、さらに食品も広く展開しています。フードサイエンスは当部の生業の1つですから、協業の可能性がおおいにあると考えました。

そして、ブランド力のある製品を持つということだけでなく、それらを自社工場で手掛ける製造業であることも決め手となりました。漢方薬は原料のクオリティが品質に影響するため、EYS社では自社でも必ず品質検査を行うなど徹底した管理を行っています。私たちのチームは化学品セグメントに所属しており、製造工場を保有する企業への出資参画の知見があり、そうした角度からも力添えしていけるのではないかと考えました。店舗に加えてTCMクリニックを運営していることも魅力でした。

日本では目薬、スキンケアの会社として有名なロート製薬ですが、一般用医薬品や機能性食品など多様な製品の製造販売業を手掛けています。また世界中に商品を展開しており、EYSが展開する東南アジア各国の薬局でも、ロート製薬の肌ラボやメンソレータムなどスキンケア製品が多くの棚を占めている状態です。

ロート製薬には漢方・生薬の力を活かした薬「和漢箋」シリーズで培われた漢方薬製造のノウハウがあるほか、EYS社の未展開国に製造拠点を有しています。当社の主な役割をグループのネットワークを駆使した製品・技術の導入や西洋サプリメントの知見とすると、ロート製薬は当社と異なる販売網や商品開発力といった強みを持っており、相互補完しながらEYS社と協業していける展望をえがくことができました。

また、ロート製薬のユニークな点は、製薬会社でありながら「薬に頼らない製薬会社になりたい」という理念を掲げられていることです。健康という価値提供を通して世界の人々のウェルビーイングに貢献することを目指し、ロートグループ総合経営ビジョン2030「事業領域ビジョン2030」では、「機能性食品・食品」をコア事業の第3の柱に育てることを明言されています。このようなロート製薬のビジョンにも大変共感し、当社・EYSとともに力を合わせることでさらなる成長を実現できるではないかと考えました。

協業による価値共創を目指して

出向して約1年半になりますが、三井物産のネットワークや知見を駆使したEYS社の企業価値の向上を主なミッションに、主に4つの領域に取り組んでいます。

まず、1つ目はR&D(研究開発)の強化です。近年、EYS社は食の製品ラインナップに注力しており、ホットな話題としては最近フレーバー付きのツバメの巣ドリンクを発売しました。若い世代を取り込む施策としてフレーバーに着目したことがきっかけですが、EYS社は「Natural Health & Wellness」を謳っているため、「香料はもってのほか」というスタンスでした。香料は合成品で人工的なものであり、Natural(自然なまま)ではないという考え方だったのです。そこで、天然の原材料を由来とするナチュラルフレーバーはNaturalではないだろうか?と提案したところ賛同いただけて、当社のフードサイエンスチームが出資しているシンガポールの香料会社とつなげた結果、桜やエルダーベリー、オーキッドフレーバーといった美味しくてユニークな製品を生み出すことができました。

2つ目はEYS社の顧客ポートフォリオや製品ポートフォリオを拡充することです。当社の出資先でもある東南アジアにネットワークを持つ医薬品や医療機器の卸売会社とつなげたり、既に流通している製品をEYS製品としてリブランディングを図ったりしています。

3つ目は他国展開です。当社やロート製薬のネットワークを駆使してEYSがすでに展開している主要三カ国以外にも市場を拡大すべく、現在は日本やインドネシアへの展開を見据えて種まきを進めています。

そして4つ目が西洋医学との連携です。先に述べたように中華圏では西洋医と中医は資格が異なるため、全ての医師が漢方薬に対して知識や理解があるわけではありません。漢方薬がさらに広く患者さんにとっての選択肢となるために、西洋医学の医療従事者や患者さんのTCMへのエンゲージメントを高めるアプローチを行っています。例えば、当社が出資しているIHH傘下の病院にEYS社のTCMクリニックをオープンさせ、西洋医と中医の勉強会を開催するといった取り組みです。このような取り組みを通じて西洋医学の病院やクリニックとの連携を強化し、予防未病領域でのIntegrative Healthの提供を目指していきたいと思っています。

価値の共創で実現したいウェルビーイングな社会

未病・予防といった健康に関わる事業は、当社のウェルネス事業群とフードサービス事業群を横断する広大な領域であり、病院・医薬品といったヘルスケア事業とも相互補完関係にあります。

漢方薬に食品、そしてそれらの製造も手掛けるEYS社は、まさに食・栄養とウェルネス事業の結節点そのものと捉えることができます。強固なブランドとサイエンスに基づく製品をはじめとした、さまざまなウェルネスソリューションを提供することで、多様化する消費者のライフスタイルの質向上に貢献し、ウェルビーイングな社会を実現したい、これは3社に共通する想いです。

前例のない新領域への参入は当然、勇気がいりますし失敗もあります。一方、挑戦しなければ、知見や経験を得ることはできません。これまでの経緯を私たちは「わらしべ長者モデル」と呼んでいますが、西洋サプリメント事業から学んだことがあるからこそ、今回のEYSへの出資参画の機会を得ることができました。どんな挑戦もそこから学ぶことがある以上、間違いなく未来につながる貴重な糧となるのです。

また、出向者としては常に相手の立場に立ったコミュニケーションを心掛けることが信頼関係の構築につながっていることを実感しています。相手の意向を尊重しながら忍耐力を持って進めていくことが大切ですが、協業推進をリードする立場として、時には本音で話し合い、双方が納得する方向性を見つけ、前進していく突破力も必要です。その塩梅は難しいですが、出向当初からダブルキャップの意識で参画している成果か、「仲間」として受け入れてもらえていることはとてもありがたく思っています。未病対策ソリューション事業は、始まったばかりです。当社らしく、EYS、ロート製薬といった仲間とさらなる価値共創を目指していきます。