スポーツ脳科学とは? 「脳」から運動パフォーマンスのメカニズムに迫る

2024.07.22

パリオリンピックの開催を控え、スポーツの祭典への関心が世界で高まりつつあります。大舞台で奮闘する選手たちの姿は人々に感動を与え、スポーツの魅力に改めて気づく機会にもなっています。
アスリートの素晴らしいパフォーマンスは、どのような人体のメカニズムが支えているのでしょうか?そのヒントは「脳」にあるのかもしれません。
今回はスポーツ脳科学を最前線で研究する水口先生に、スポーツにおける脳の反応や働き、そして運動を楽しみながら健康を享受できるウェルビーイングな社会につながる研究の可能性について教えていただきました。

水口 暢章 氏

順天堂大学 スポーツ健康医科学推進機構 特任准教授
立命館大学 総合科学技術研究機構 客員研究員
東京大学 大学院総合文化研究科 特任研究員
国立研究開発法人情報通信研究機構 未来ICT研究所 脳情報通信融合研究センター 協力研究員
国立研究開発法人国立長寿医療研究センター 健康長寿支援ロボットセンター 外来研究員

2012年、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科博士後期課程修了。2012年独立行政法人情報通信研究機構脳情報通信融合研究センター研究員、2014年より早稲田大学スポーツ科学学術院助手、2016年より慶應義塾大学理工学部訪問研究員、2019年より国立研究開発法人国立長寿医療研究センター流動研究員、2020年より立命館大学総合科学技術研究機構助教を経て、現職。さまざまな神経科学的手法を用いて、運動パフォーマンスと関連する特定脳領域間の機能的結合や脳構造を多角的に明らかにし、学習速度を予測する技術の確立や個人に最適な運動学習法の開発を目指した研究を行っている。

能力が発揮されるとき、脳では何が起きている?

まず、スポーツを対象とした学問を総称して「スポーツ科学」といいます。スポーツ動作を分析するスポーツバイオメカニクス、スポーツ心理学、さらにパフォーマンスを支える栄養学に至るまで、さまざまな観点から「スポーツを科学する学問」となります。

そして、その中の一つが「スポーツ脳科学」です。多くの方にはなじみがない学問かもしれませんが、スポーツ時もしくはスポーツ選手の脳や神経の働き、認知のメカニズムなどを扱う学問です。

スポーツ選手や音楽家が優れたパフォーマンスを発揮するメカニズムを明らかにすることは昔から人々の興味の対象として研究されてきましたが、スポーツは研究対象として取り扱う上で特有の難しさがあります。

スポーツには多種多様な競技があり、評価要素がさまざまです。例えば、陸上競技ではシンプルに「速く走る」という要素を競いますが、サッカーやラグビーなどのチームスポーツは、選手個人の技術レベルや体力要素だけでなく、チームワークや戦術などの要素もあり、何をもって個人の優れたパフォーマンスとするのか評価軸は多岐にわたります。

また、研究対象となるトップアスリートは練習などで多忙な上に、試合にむけて集中力を高めていく重要な時期もあり、体系的・継続的な計測が難しいです。これまでは縁があり実験参加の協力が得られた際に、貴重な機会を最大限生かすべくスケジュールや競技特性などを検討し計画を立てて研究を進めてきました。

技術的な面では、脳科学の一般的な手法である脳波や磁気共鳴画像法は、ダイナミックな運動中の計測が困難で、これもスポーツ時の脳を研究する難しさの一つとしてあげられます。

私は小学校の頃からサッカーをやっていたのですが、周囲と比べて体が小さく「どうすれば勝てるだろうか?」と子どもながらに考えていました。振り返れば、筋力をつけることよりも、いかに体をうまく動かせるかということに関心が向いていたと思います。

その後、順天堂大学スポーツ健康科学部に進学し、トップアスリートが大勢いる環境に身を置きました。私は高校までは比較的運動ができる方だと思っていたのですが、トップレベルのアスリートたちの動きは別次元で、衝撃を受けました。自分の本業以外の競技ですら、まるで長年やっていたかのように器用にこなす人もいました。こういったトップアスリートの能力の背景にあるメカニズムを解明したいと思ったことが研究の道に進むきっかけとなりました。

スポーツ脳科学の最前線に迫る4つの研究

私は大学でトップアスリートの動きが段違いであることを目の当たりにし、スポーツを習得する際の「個人差」への興味が一層高まりました。生理学や神経科学では、個人差が研究対象になることはあまり多くありませんでしたが、なぜトップアスリートとなるまでに上達する人とそうでない人が存在するのか、その理由を解き明かしたいという想いがスタートにあります。

運動の習得における個人差の研究には、学習課題の一つである系列学習を用いました。パソコンなどで自分の名前を入力するとき、他の人の名前よりもすばやくできると思います。これは、自分の名前は繰り返し入力し学習しているからです。このように、決まった順序の動作を学習することを「系列学習」といいます。系列学習は上述のパソコン入力のようなタッピングを用いることが多いですが、スポーツは全身を使った運動なので全身運動に拡張して、学習が速い人とそうでない人の脳活動に違いが見られるのか調べました*1

全身運動に拡張した系列学習は、ゲームセンターによくあるリズムゲームをイメージしていただくとわかりやすいと思います。研究対象者の足元に4つのパネルマットを並べ、目の前のモニターに対応する配置でパネルマットの画像を表示します。パネルマットのどれかに瞬間的に×印のサインを出し、該当するパネルマットを足で踏む動作(ステッピング)を何度も繰り返します。

×印のサインが出る箇所はランダムではなく、特定の順番になっています。しかし、研究対象者には特定の順番で呈示していることを伝えていません。研究対象者は同じ順番の一連の動作、つまり、系列を無意識的に繰り返し学ぶことになります。この課題のもう一つのポイントは、系列は全研究対象者にとって初めてのものあり、過去の運動経験にはよらず学習の良し悪しを評価することができます。研究対象者が課題をある程度繰り返し行うと、これまでの順番をランダムな順番に変えます。

同じ順番の動作を繰り返すうちに、徐々にステッピングの反応速度は上がりますが、急にランダムな順番になると、これまでの学習したものが使えず反応速度が遅くなります。

この反応速度の差が大きければ大きいほど、決まった順番の動作にすばやく反応できていることを意味し「系列」を学習できているといえますが、ここに個人差があり、反応速度の差が大きい人とそうでない人を確認しました。そして、課題を実施した前後の安静時脳活動の変化を両者で比較すると違いが見られました。

人間の脳は、学習課題をやり終えた後も無意識下で体験したことを処理し続けています。系列学習の課題を終えた研究対象者の脳活動を解析したところ、反応速度の差が大きい、つまり、よく学習ができている人ほど前頭前野と大脳基底核の一部の領域の脳活動の同期性が増加していました。脳内の神経細胞は軸索でつながっており、脳内の離れた領域の活動が同同期的に活動することは、その領域間で情報のやり取りが密になっていると解釈されます。この結果から、系列学習は前頭前野と大脳基底核が連携して成立していることが示されました。

活動変化がみられる脳の領域は課題内容によって異なるという仮説の元、上述の系列学習と質が異なる全身のバランスをとるスラックライン課題を行ったところ、予想通り異なる領域が変化していました*2。このような変化が起こるメカニズムを解明するには、さらなる研究が必要ですが、運動課題前後の安静時脳活動を解析すると、運動学習の要素に対応する脳領域を特定できることがこれらの研究からわかってきました。この手法は、系列学習やバランス課題だけでなく、サッカーやバスケットボールなど実際のスポーツにも適用可能であると考え研究を継続しています。

脳活動を自覚・知覚することはできませんが、脳活動をリアルタイムに測定し可視化できる機器を使えば、脳の活動状態を本人にフィードバックすることができます。これをブレインマシンインターフェイスまたはブレインコンピュータインターフェイスと呼びます。脳活動を客観的に可視化し、本人にフィードバックすれば、脳活動状態をよりよい状態にコントロールできるようになることで運動の学習効率を上げることができる可能性があると思います。

こうした知見の活用は、プロスポーツではドーピングとの関係を考慮する必要はありますが、リハビリテーションの分野では活用が進んでいます。

非侵襲的な脳刺激は脳を一切傷つけずに脳活動をわずかに変化させる神経科学的手法です。脳刺激にはいくつかの種類があり、私が着目したのは経頭蓋直流電気刺激というものです。脳への直流電気刺激と聞くと少し怖い印象をもたれるかもしれませんが、電極から微弱な電流を少し流すだけなので痛みはなく、電気刺激によって狙った部位の脳活動をわずかに変化させることができます。また、変化は永続的なものではなく、しばらくすると元に戻ります。

この研究では、全身を使いながら指先の動きも必要になるダーツを課題にしました*3。研究対象者にダーツ盤の中心を狙ってもらい、刺さった点と中心の距離を計測し、その距離が近いほどパフォーマンスが高いとしました。電気刺激をしながら課題を行い、電気刺激前後、つまり刺激をしていないときのパフォーマンスを解析しました。また、別日には実際には刺激は行わないプラセボ条件も実施しました。相対的なパフォーマンスの高低で2グループに分けて解析したところ、パフォーマンスが低い人には電気刺激の効果がありました。しかし、パフォーマンスが高い人には効果が見られませんでした。

脳刺激の効果は、運動課題の種類によっても変わると思いますが、研究対象者の技能レベルによっても異なることがわかりました。こうした研究事例が蓄積すれば、最終的には個人に最適な脳刺激法のアレンジが可能になるのではないかと考えています。ただし、適切に使用しないとパフォーマンスがむしろ悪化することもわかっているので、使用には専門家の助言が必要です。

運動を継続すると脳が変化することは知られるようになってきましたが、私はまだ数ある論文の中で一定の傾向や共通点はまだ見出せていません。これまでアスリートの脳構造が一般の人と異なるという論文もいくつか発表されていますが、論文によって結果はだいぶ違います。これはたとえ同じ競技が対象でも選手の技能レベルやポジションなどが違うことなどに起因すると考えています。また、MRI(磁気共鳴画像法)を使った研究では、撮像や解析の標準的な方法が確立されていないことも、結果が一致しない理由の一つではないかと考えています。つまり、アスリートの脳の特徴をつかむためにはさらなる研究が必要です。

2004年に、科学雑誌「Nature」に興味深い研究が報告されています*4。成人の研究対象者にジャグリングを3カ月間練習してもらい、練習前後に脳構造を計測したところ、練習後の脳の特定部位の体積が増えていることが示されました。その部位は、目で複雑に動く物体を認識し、それらの情報を処理する領域と、周辺視野(視界の中心以外の周辺部分)で物体に手を伸ばしたりつかんだりする時に利用される領域で、動くボールをキャッチして投げるというジャグリングのパフォーマンス向上に関係していると考えられました。

この研究で体積の増加したのは、神経軸索(神経細胞のシグナルを出力する部位)、樹状突起(神経細胞のシグナルを受け取る部位)、グリア細胞(神経細胞の発達・生存・機能を支える細胞)などであると考えられています。成人では海馬など一部の部位を除いて神経細胞の新生は起きませんが、MRIによって非侵襲的に、つまり脳を傷付けることなく、学習によって生じる脳構造の変化を捉えたことが高く評価されています。

他者の気持ちの理解には、メンタライジングシステムと呼ばれる脳内のシステムが重要とされ、主に心理学分野で、表情から感情を読み取る研究が進んでいます。しかし、スポーツではたとえ選手の表情が見えなくても動きを見ることで全力を出して頑張っていると理解でき、それに感動することがあります。表情や言葉を介さずに動作だけを見て他者の頑張り――ここでは「努力度」と捉えていますが、それを理解する際に脳のどの領域が働いているのか興味が湧いたのがきっかけです。

ダンベルを持ち上げる人の動画を研究対象者に見てもらう実験を行いました*5。この研究では、観察者の脳の反応が、ダンベルを持ち上げる人の努力度に対するものか、それとも想定されるダンベルの重さに対するものかを明確に区別できるよう設定を工夫しました。

細身の人と体格の良い人にダンベルを持ち上げる役を務めてもらい、ダンベルは軽いものと重いものを準備しました。細身の人と体格の良い人それぞれに軽いダンベルと重いダンベルを持ち上げる4パターンの動作を見てもらい、その時に反応する脳の領域を機能的磁気共鳴画像(fMRI)で調べました。

その結果、努力度が一番高い(細身の人が重いダンベルを持ち上げている)状態を見た時に、右側の頭頂葉と側頭葉が接する領域である側頭頭頂接合部(そくとうとうちょうせつごうぶ)と側頭葉にあるしわの隆起した部分である上側頭回(じょうそくとうかい)が強く活動することがわかりました。この領域は、表情などから他者の気持ちを理解する際に働く部分です。

この研究がさらに進めば、スポーツ観戦時の観客の感情変化の理解につながり、より熱中できる観戦環境の構築に活用したり、スポーツ観戦以外でも他者理解やコミュニケーション能力向上につながるツールの開発に貢献できるのではないかと考えています。

スポーツに見出した可能性は、アスリートを超えて

現在は順天堂大学のハイパフォーマンス・トランスレーショナル・リサーチ拠点のプロジェクトに関わっています。トランスレーショナル・リサーチとは橋渡し研究ともいいますが、アスリートの競技力を向上させるために、基礎研究の成果を現場で実用・活用できるようにする研究です。

私がプロジェクトで担当するのは、アスリートの機能解析とトレーニング技術の開発で、これまでにお話してきたような研究から得られた知見を競技者に実装することがミッションとなります。同学に通うアスリートを対象に、1年時からの縦断的な研究を始めており、大学での4年間のデータを蓄積していくことで、さまざまな結果が見えてくると思います。その過程で、競技成績と関連する脳の変化が捉えることができれば、パフォーマンスを向上させるためのフィードバックも可能になると考えています。まさに私がこれまでやりたかった研究で、これまでの研究で培った知識やノウハウを活かしながらさらに発展させていきたいと思っています。

人々の健康寿命を伸ばすために、スポーツや運動の習慣化を促進するようなサービスがあったら良いのではないかと考えています。

「運動は脳にも良い効果をもたらす」と聞いたことがあるかもしれませんが、実際さまざまな研究で、運動は脳の健康やメンタルに良い効果があることが示されています。超高齢社会の日本では、運動の習慣化をサポートするサービスの需要は大いにあるのではないでしょうか?

また、ダンスや道具を使った運動など頭を使いながら運動をする「コーディネーショントレーニング」は認知機能を改善する効果が高いことが研究で示唆されています。認知機能と一言でいってもさまざまな機能がありますし、個人によってどの認知機能を高めたいかは異なるかと思います。認知機能をより細分化した上で、パーソナライズされた運動メニューを提案してくれるアプリのようなサービスがあると個人的にうれしいなと思っています。

私の主な研究対象はアスリートですが、その知見はアスリートだけでなく、多くの人のウェルビーイング実現につながると考えています。

運動が脳や健康に良いとわかっていても、運動を継続できない方は多いと思います。その要因の一つは、運動が好きかどうかではないでしょうか?運動習得の際の個人差に関する研究で得られる知見は、運動を楽しいと思える要素の解明につながる可能性があります。つまり、上達をより多く実感できるようにさせることができれば、体を動かすことが好きになり、自然と運動習慣が身につき、楽しみながら運動効果を享受できるようになると考えています。みなさんも嫌々運動をして健康を維持するよりも楽しく運動をして健康を維持できた方がいいですよね。

また、体育嫌いのお子さんもいると思います。その原因の一つは「なかなか上達しない」ことです。子どもを対象としたさらなる研究が不可欠ですが、上達するコツをつかむための知見を蓄積すれば体育嫌いになることがなく幼少期から生涯にわたって運動習慣が形成されることにつながるのではないかと考えています。

脳科学から運動メカニズムを解き明かしていくことで、運動の上達を実感でき、運動が好きになって、気づけば楽しく運動が継続できている、そんなウェルビーイングな生活に続くステップが提供できる未来の実現を目指して、研究を進めていきます。

*1 Neuroimage. 2019 Aug 15:197:191-199.
*2 Med Sci Sports Exerc. 2022 Apr 1;54(4):598-608.
*3 Neuroscience. 2018 Feb 10:371:119-125.
*4 Nature. 2004 Jan 22;427(6972):311-2.
*5 Sci Rep. 2016 Jul 26;6:30274.