患者エンゲージメントを高めるアプリ開発から紐解く、 病院×デジタルの価値創造[後編]
2024.08.20
三井物産は、アジア最大級の民間病院グループであるIHH Healthcare Berhad(以下、IHH)を通じて、病院事業を推進しています。IHHは「患者中心(Patient Centric)の医療」の実現を目指す中、質とコストの透明性の高い医療の提供と患者の利便性向上を目指したデジタルトランスフォメーション(DX)を進めており、三井物産はその取り組みを支援しています。
IHHのDXプロジェクトのメンバーとして活躍した三原氏を迎え、患者向けアプリケーションの開発、DXが医療にもたらす価値についてインタビューした後編をお届けします。
前編はこちら
人とネットワークの力でDX推進を内側からサポート
IHHが注力している取り組みについて教えてください。
IHHでは、「患者中心(Patient Centric)の医療」をビジョンに掲げ、患者さんにとって利便性や透明性が高い医療の提供を目指しており、それらを実現する手段として、データ・デジタルソリューションの活用を進めています。また、病院内の治療に加え、治療前後を含めたシームレスなケアの実現も見据えながら、DXプロジェクトを推進しています。
DXプロジェクトの進め方としては、先進技術を提供するベンダーを活用する一般的な方法のほか、先進的な技術を保有するスタートアップ企業に対して出資をして、双方が戦略的利益を獲得するとともに、投資リターンの獲得を目指す方法もあり、後者は当社出向者がゼロから立ち上げた部署が担当しています。また、特に重要性が高く、意義があるものについては内製化を進めており、DX戦略チームの立ち上げやソリューション開発チームに当社の出向者や専門性のある人材が参画し、DX推進を内側からサポートしています。
三原さんは出向時、現地でどのような役割を果たされたのでしょうか?
私はデータやデジタルを活用してIHHの企業価値を向上していくことをミッションとして、2020年から2024年までの約4年間、IHHに出向しました。
出向当初、グループ内でのデータやデジタル活用は、部分的、あるいは各国の単発的な取り組みにとどまっていました。病院のオペレーションは国によって異なる点も多いので、個別最適で進めるべきデータ・デジタルの取組も多くあるのですが、グループを横断した中長期的な戦略をもって推進する必要があると思いました。そこで、中長期的なビジョンとロードマップの策定と、それを推進するチームを立ち上げることが最初の業務になりました。5年後のあり姿を描くロードマップは、IHHが展開する各国を巡って現状をヒアリングし、作成しました。
ロードマップ策定時には各国リーダー、現場の方々とデータ・デジタルを活用して具体的に何ができるかを密に話し合いました。ウェブサイトやコールセンターの改善、グループレベルでのオペレーションにおけるKPI策定、調達コスト見える化・効率化など、さまざまな取り組み候補が挙げられましたが、費用対効果を分析し、効果の高いものから優先的に取り組むことになり、その一つが患者向けアプリケーションの開発でした。
2022年にリリースされた「MyHealth 360」のことですね。アプリのサービス概要について教えてください。
通院予約など患者さんの利便性を高めるサービスはもちろん、診断時の画像データを含む各種検査結果を確認することができます。個人の医療データを蓄積し、管理できるという点ではパーソナルヘルスレコード(PHR)※機能も有しています。また、オンライン診療プラットフォームにもなっており、アプリ上の「オンライン診療」をタップするだけでスマートフォンからオンラインで診察や健康相談を受けることもできます。
アプリのUI/UXは、使い勝手の良さを追求し、患者さんに何度もインタビューを重ねながら要望を落とし込みました。専門的な行動心理学の視点も取り入れることで、アイコンの位置やデザインなど細部に至るまで研ぎ澄まされたデザインに仕上げることができたと思います。そうしたこだわりが評価され、シンガポールでは2023年にヘルスケアアプリのアワードで最優秀賞も受賞しました。
※ パーソナルヘルスレコード(PHR):生涯にわたって個人の健康や身体に関する医療データを管理し、本人の意思のもと活用する仕組みのこと。
アプリ開発時に苦労されたことはどのような点だったのでしょうか?
アプリを利用することのメリットを直接享受してもらうのは、患者さんなのですが、病院で働く医療従事者にもその重要性を理解し、導入を支援して貰う必要があります。そのため、病院のオペレーションを担う医師や看護師が置かれている環境や日々の業務に対して理解を深める必要がありました。
デジタルを取り入れることで、これまでのやり方に多少なりとも変化が生じる中、それによってどのようなメリットがあるのかが当然問われます。目の前の仕事に忙殺される医師や看護師の働き方をどう改善できるのか、そして、「患者中心」の医療をどう実現できるのか、これらについて現場の納得感がないままでは、アプリの導入は進まないので、開発段階から定期的にフィードバックを受けるなどコミュニケーションは意識的に行いました。
価値の高いソリューション提供を目指して
現場で良いパートナーシップを築くために心掛けられたことはありますか?
周りのメンバー全員がデジタルに関して専門性を持つ中で、私には彼らと同じ業務をこなせるほどの知見も経験もありませんでした。しかし、私が果たすべき役割は専門人材になることではなく、チームの力が最大限発揮できる環境をつくることでした。出向して間もなく新型コロナ感染症が本格的に広がってしまい、100%オンラインでのコミュニケーションを余儀なくされる中で関係性を築いていくのは苦労しました。メンバーの人となりを知る入り口として、雑談時に16タイプ性格診断をやってみたり、直接関わっていないタスクのミーティングにも顔を出させてもらったりと地道にコミュニケーションの機会をつくっていきました。
出向期間を終えて帰国する際にメンバーから、「常にフェアに、IHHや患者さんにとって何がベストかを考えてコミュニケーションをとってくれたことが助かった」と言われました。さまざまな視野を持った人々を説得して前に進めなければいけない中で、それぞれの視点に立ちつつも、自分の役割や信念をぶらさずにコミュニケーションをとっていくこと――自分ではあまり意識していませんでしたが、それが良いパートナーシップにつながったのではないかと振り返っています。
医療の質向上におけるアプリの手応えと今後の展望を教えてください。
コロナ禍を契機に、医療に対する期待は大きく変化していると考えています。デジタル化の波はアジアにも大きく及んでいますから、オンライン/オフラインでの医療がシームレスにつながり、場所を選ばずに個別化された治療を受けられることへの期待が高まっています。
「MyHealth 360」アプリは、IHHがそうした期待に応えていくためのプラットフォームとして大きな価値をもつと考えています。現時点では通院予約や検査結果の確認、遠隔診療といった基本的なサービスにとどまっていますが、患者さんからの確かな信頼を得ることができれば、アプリを接点にさまざまなサービスを拡充させていくことができます。例えば、PHR機能としては、予防・未病段階からの個人データを蓄積し、利用者の身体の状態に適したアドバイスを通知するなど、「患者中心の医療」をさらに深めていくことができると考えています。
DXが医療にもたらす価値について、三原さんのお考えを教えてください。
今後の医療のあり方として、適切な医療費で、個人に合った質の高い医療を、受けたい場所で誰もが受けられる世界が求められると強く感じています。そして、データやデジタルを活用することで、より加速度的に、効率的に、そして高度にそれを実現することができると出向経験を通して実感しました。
一方、実際にデータを活用可能なものにすることは容易ではなく、また活用すること自体も、深い医療知識や法令に関する理解、データ分析能力が必要です。多様な様式で蓄積されたデータの標準化は非常に骨が折れますし、そうして生み出したソリューションも使ってもらえなければ価値が生じません。課題は沢山ありますが、DXを推進する意義は明確です。今後も医療におけるDXの可能性を模索していきたいと考えています。