「お口の健康」から考える、口腔環境とウェルビーイングの関係性とは?[前編]

2024.11.01

生活の基本動作である食べること・話すことを支える口腔環境を良好に保つことは、健康的な生活を維持する上で重要です。近年では、口腔の健康が全身の健康に深く関わっていることも明らかになってきています。

日常生活の質にも影響を与え、生命活動に直結する「お口の健康」と、どのように向き合えば良いのか、高齢者歯科学を専門に研究されている金澤教授をお迎えし、豊かな生活を送り続けるために不可欠な口腔機能の保ち方を教えていただきました。

金澤 学 教授

国立大学法人 東京科学大学(Science Tokyo)
大学院医歯学総合研究科 高齢者歯科学 教授

東京医科歯科大学大学院、医歯学総合研究科にて博士課程を2006年に修了、同大学歯学部附属病院義歯外来医員に着任。その後、同大学大学院で医歯学総合研究科高齢者歯科学分野の助教、講師を務め、2021年より医歯学総合研究科口腔デジタルプロセス学分野の教授に就任。2024年5月より現職。高齢者歯科学などを中心とした研究、教育、臨床を行う。

口腔機能の低下を示唆する「お口のサイン」とは?

口腔機能を良好に保つことは、食べる・話すといった生活の基本動作を円滑に行うだけでなく、対面における印象といった審美的な側面にも関わり、生活の質を維持する上で重要です。例えば、歯の本数が減るほど、顎の骨や筋肉が少なくなるため、食べ物を噛み砕いて飲み込む咀嚼・嚥下機能が低下してしまいます。また、見た目を気にして笑顔をみせられなくなり、コミュニケーションに消極的になってしまうことがあります。

このように、口腔機能は、栄養摂取という生命維持の最も重要な機能以外にも、人々の生活の質に大きな影響を与えます。心身の健康において、「社会性」は非常に大切な要素であり、「社会性」の維持には、周囲の人々と一緒に話したり、食事をしたり、コミュニケーションがとれる健康な口、すなわち「健口」が重要な役割を果たすのです。

現役世代の方には想像しづらいかもしれませんが、高齢者の中には、口の中の筋肉が衰え、思うように口を動かせなくなるといった方がいます。これは、口の機能が低下している状態です。そして、口腔内の衛生状態や乾燥、咬合力の低下など、7項目のうち3項目以上が評価基準を下回ると「口腔機能低下症※1と診断され、治療が必要となります。

みなさんは、「オーラルフレイル」という言葉をご存じでしょうか? 近年、テレビや雑誌でも頻繁に取り上げられるようになりましたが、これは口の機能が健常な状態(健口)と「口の機能低下」の中間に位置する状態です。オーラルフレイルは早期であれば改善が可能で、この段階で悪化を防ぐことが非常に重要になります。

65歳を超えて「口腔機能低下症」と診断された場合、さらなる機能の低下を適切な治療や指導で防ぎつつ、現状を「維持・管理」しながら徐々に改善を目指すことになります。

だからこそ、重要なのは初期段階の「お口のサイン」を見逃さないことです。最近、滑舌が悪い、食べこぼしが増えた、硬いものが噛めなくなったなどのサインは、つい「年齢のせいかな」と軽く受け流しがちで、口の機能低下が始まっていることに気づかないケースが多いです。そこで、セルフチェックにぜひ活用していただきたいのが「オーラルフレイルのチェック項目(OF-5)※2」です。

5つの項目のうち2つ以上該当する場合は、オーラルフレイルと判断されるので、歯科医院を受診してほしいと思います。1つだけ該当する場合は、話したり、食事をしたりする際に意識的に口をしっかり動かすようにしていただければ結構です。これまでの研究により、全身機能の衰えに先立ち、口腔機能の低下が確認されることが報告されています。つまり、口腔機能の衰えを早期に自覚し、適切に対処することで、全身機能の衰えを抑えたり、その進行を遅らせたりすることができるのです。

このような予防の意識と行動は、若いうちから持つことが重要です。若い方は「まだ自分は関係ない」と思わず、未来の自分をも大切にするつもりで、日々、口の健康を意識してケアをしていただきたいと思います。

※1 口腔機能低下症:加齢だけでなく疾患や障害など、さまざまな要因によって口腔の機能(咀嚼・嚥下・構音・唾液・感覚)が低下していく症状(疾患)を指す。放置すると食事をすることが難しくなり、全身の筋力が衰えるなど健康を損なう恐れがある。
※2 オーラルフレイルのチェック項目(Oral frailty 5-item Checklist;OF-5):日本老年医学会、日本老年歯科医学会、日本サルコペニア・フレイル学会が合同で開発した口腔機能の低下を早期に発見するための簡易的なチェックリスト。自分で簡単に確認することができる。

明らかになってきた「口」と「全身」の関係

その背景とは、ずばり高齢化です。加齢に伴う全身機能や認知機能の低下が課題として注目される中で、糖尿病などの代謝性疾患と口腔環境との関連が明らかになり、口腔環境と身体・脳の関係を解き明かす研究が活発になされるようになりました。

実は1980年代から、口腔環境と全身疾患・認知機能との関連は指摘されていたのですが、データに基づく明確な因果関係が示されていませんでした。長らく歯科の世界では治療そのものが最優先で、2000年代以降、十分に治療法が確立した後に口腔環境と健康の関係性に関する本格的な研究が進められ、2020年になって、さまざまな研究から口腔環境と身体・脳の関係がわかってきました。

先ほども挙げましたが、代表的な事例は糖尿病です。糖尿病患者は歯周病にかかっている割合が高く、また歯周病になると糖尿病が悪化する*1ことも示されており、それぞれが影響を与え合うことがわかっています。

また、食べ物や液体が誤って気道に入り込み、肺に感染を引き起こしてしまう誤嚥性肺炎も、歯周病と関係があることが研究で明らかになっています。

また冒頭で述べたように、口の機能低下によって人との交流が減少すると社会的な孤立につながる可能性があります。近年、問題視されている老人性うつ病のように、社会的なつながりが失われると精神面に悪影響が及び、負の連鎖に陥ることがあります。認知機能に関する観察研究でも、他者との交流が少ない人ほど認知機能が低いという結果が示されています。

現在、地方自治体や民間企業が大学などの研究機関や歯科医師などと連携し、口腔機能を維持するセルフケアやトレーニング方法を考案し、ウェブサイトで公開しています。日本歯科医師会も「オーラルフレイルのための口腔体操」をホームページでわかりやすく紹介しています(https://www.jda.or.jp/oral_frail/gymnastics/)。簡単に取り組める内容なので、ぜひ日常生活に取り入れてみてくだい。

後編では、全身の健康における歯科医院の役割や、単に噛む、話すといった機能を超えた口腔機能の可能性について紹介します。後編はこちらをご覧ください。