「お口の健康」から考える、口腔環境とウェルビーイングの関係性とは?[後編]
2024.11.01
生活の基本動作である食べること・話すことを支える口腔環境を良好に保つことは、健康的な生活を維持する上で重要です。近年では、口腔の健康が全身の健康に深く関わっていることも明らかになってきています。
日常生活の質に影響を与え、生命活動にも直結する「お口の健康」と、どのように向き合えば良いのか、『「お口の健康」から考える、口腔環境とウェルビーイングの関係性とは?』後編では、高齢者歯科学を専門に研究されている金澤教授に、医科歯科連携による健康寿命の延伸の可能性と、デジタル技術や人工知能(AI)を活用した未来の歯科医療についてお伺いした内容をお届けします。
前編はこちら
「全身の健康」を導く医科歯科連携の可能性
日本は世界で最も高齢化が進んでいますが、現在に至るまでに歯科医療の位置付けはどのように変化してきたのでしょうか?
令和2年度の厚生労働省の調査*2によると、平均寿命と健康寿命の差は男性で約9歳、女性は約12歳と依然として開きがあります。多くの高齢者が疾病などで日常に何らかの制限がある状態、また要介護状態となっている期間が約10年もあるのです。この差をなくしていくためには、健康な状態と要介護状態の中間である「フレイル」の状態から、要介護状態に移行しないよう、早めのケアが重要です。その中で、歯科医療は、食べる・話すといった機能を維持する側面から、重要な役割を果たせると考えています。
病院と異なり、歯科医院には検診などを目的に幅広い年代の方が定期的に通っています。つまり、歯科医師は、病気になる前から患者と接点をもつことができ、例えば、歯科医師が口腔内を診察して「以前より歯磨きができていないな」と感じたら、実際に認知症が進行していたという事例や、患者さんが診察室に入る際の歩き方から身体機能の低下を察知することもあります。このような事例から、歯科医療は病気の早期発見や予防において、要介護状態への進行を防ぐ未病・予防の領域における重要な役割を果たせるのではないかと考えています。
そうした予兆を捉え、適切な早期治療につなげることができれば、患者さんにとって大きな安心につながると思いますが、他の診療科や専門家と連携したアプローチは進んでいるのでしょうか?
最近は、医療現場で糖尿病などの患者さんに「口の中の状態はどうですか?」と歯科受診を勧める医師が増えており、医科と歯科が相互に紹介し合う仕組みも整いつつあります。また、在宅医療では、医科と歯科の連携に加え、他の専門職が協力するチーム医療の体制が必要です。例えば、嚥下機能に問題がある場合には言語聴覚士が対応し、栄養管理は管理栄養士が担うなど、多職種が連携して治療やケアにあたる地域包括ケアシステムのチーム医療が重要な役割を果たしています。
ただ、医科と歯科の枠を超えた診療情報の共有プラットフォームは、現状では書面でのやり取りが主流で、発展の余地が大きいと感じています。私自身、より良いシステムの構築に向けて試行錯誤を重ねていますが、現在、導入が進められているパーソナルヘルスレコード※の浸透に期待しています。また、日本国内でもDental Service Organization(歯科医院の非医療業務を代行するサービス事業:関連記事は、こちらをご参照ください。)のような、複数の企業や組織による協力体制が整えば、情報共有はさらに容易になるのではないかと思います。いずれにせよ、行政、民間企業、医療機関が連携し、同じ目標に向かって進む姿勢が欠かせないと考えています。
また、口腔機能と全身疾患の関係を調べる研究でも、さまざまな分野の専門家の協力が欠かせません。例えば、歯科治療と生活指導によるメタボリックシンドロームの改善効果を調査する研究では、職員健康管理センターの医師の協力を得ていますし、食前にガムを咀嚼することが血糖値にどのような影響を与えるかを調べる研究では、内分泌や検査部門の医師や専門家の力を借りました。現在も、歯周病科や矯正歯科の医師の協力を得ながら研究を進めています。
※ パーソナルヘルスレコード(Personal Health Record;PHR):生涯にわたる個人の健康や医療、介護に関するデータを一元的に管理し、本人の意思に基づき活用する仕組みのこと。関連記事は、こちらをご参照ください。
楽しく食べて話せる毎日が「豊かな人生」をつくる
未来の歯科医療は、どのような姿になっているとお考えでしょうか? 金澤先生が思い描く将来像をぜひ教えてください。
この先、歯科医療は治療から、人々の歯や口腔の健康を日常的に管理し、より予防に重点を置く方向にシフトしていくのではないかと感じています。
そこで、私自身は、誰もがいつでもどこでも簡単に口腔環境の検査ができる世界を実現したいと考えています。そのためには、センサー技術の進化が不可欠ですが、口腔内の写真を撮影して虫歯や歯周病のリスクをモニタリングし、病気になるリスクが高まった時点で自動的にスマートフォンにアラートが送信され、病気を未然に防ぐことができるようなシステムを想定しています。
万が一、治療が必要になった際には、人工知能(AI)によるサポートだけでなく、歯科医師がロボットを操作したり、ロボットが自動で治療を行う未来も十分に考えられます。
現在、金澤先生が取り組まれている研究や、その展望について教えてください。
小児の歯科治療では、歯並び・噛み合わせに影響を与える習慣や癖を改善して、口周りの筋肉が正常に働くように促す「口腔筋機能療法」と呼ばれるトレーニングがあります。これを日常的に行えるよう、トレーニング支援アプリケーションの開発を進めています。
また、治療技術では、Mixed Reality(複合現実)デバイスを用いたアシスタントシステムに注目しています。熟練の歯科医師の「神の手」と称される手技をデータ化し、それを取り込ませたAIで、施術時の手の動きや角度をアシストできるシステムの開発に取り組んでいます。
今後、超高齢社会が進む中で、医療人材の不足が深刻化することが予想されますが、デジタル技術や医療機器プログラムを適切に活用することは、医療の質を維持し、発展させるために欠かせないと考えています。
生涯を通じて適切な口腔ケアを行うことは、私たちのウェルビーイングにどのような価値をもたらすとお考えでしょうか?
ウェルビーイングという言葉の解釈は、人の数だけあるのではないかと思いまが、私は「楽しい人生」と解釈しています。楽しくない人生はつまらないですから。しかし、歳を重ねるにつれてできなくなることが増えていくのも事実です。
私自身、スポーツは昔のようにできなくなり、視力も悪くなりました。それでも、食べることや人と話すことは、今でも私にとって大きな楽しみです。もし、口腔機能が低下してしまったら、この楽しみも失われてしまうでしょう。
生涯を通じて適切な口腔ケアを行うことは、自分が楽しいと感じられる人生を送り続けるために欠かせない重要な要素だと考えています。より多くの人々が、楽しい人生をできるだけ長く享受できるよう、歯科医師として働きかけることには大きな意義があると感じており、これからも精力的に取り組んでいきたいと思っています。
*1 BMC Oral Health. 2020 Jul 11;20(1):204.
*2平均寿命と健康寿命の推移|令和2年版厚生労働白書-令和時代の社会保障と働き方を考える-|厚生労働省 (mhlw.go.jp)